まどかと一緒に、過去の教訓を生かして大災害に備えましょう!

菊地まどかは2017年、浪曲「稲むらの火」を新たに生み出しました。
室戸台風を題材とした「吉岡先生教壇に生く」とあわせて、
防災に関する様々なニーズにお応え出来るようになりました。

災害はいつ助ける側、助けられる側になるか分かりません。
法的に物理的には充実していたとしても、
近づきつつある未曽有の大災害に対しては、
やはり人と人との助け合いが何より大事になってきます。

被災時に尊い命を救うため先ず動き、
復興時には生き抜く道を真っ先に示した先人と、
それを成し遂げた人々の、“生”への意志の強さと“絆”の素晴らしさを、
天性の歌声・まどか節にのせて語り継いでまいります。

掲載記事

  • 読売新聞の記事
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菊地まどか 防災Rラーニングの演題

稲むらの火

あらすじ

奇跡の復興を遂げる源となった濱口梧陵氏の実話。

「稲むらの火」は、夕刻に発生した安政の大地震(1854年)により襲来した津波に対し、稲むら(稲束を積み重ねたもので当時は貴重品)に火を放ち、この火を目印に村の人々を誘導して、多くの人命を救った濱口梧陵氏の実話をもとに作られています。
この地震と津波による被害は甚大で、ほとんどの村人が家や仕事を失いました。そのような現状の中、濱口梧陵氏は巨額の私財を投じて村人を雇用し、百年後の津波に備えるために大堤防の建造に取り掛かります。この大工事により村は奇跡の復興を遂げました。その88年後に大津波が襲来した時、この大堤防により村の大部分が浸水を免れました。 濱口梧陵氏の偉業と功績に、日本人としての誇りを刺激された菊地まどかは、濱口梧陵記念館・津波防災教育センター「稲むらの火の館」の全面的な協力を受け、この「稲むらの火」を自身の演目として新たに生み出しました。
南海トラフ巨大地震の発生と、それに起因する大津波が懸念されている昨今、減災に関することや自助・共助・公助について、個人で、家族で、学校で、再考するきっかけとなるよう、今を生きる人々の心に、先人が残してくれた教訓を届ける覚悟で口演します。

「稲むらの火」関連動画→稲むらの火

吉岡先生教壇に生く

あらすじ

昭和9年の室戸台風が大阪(吹田市)の学校にもたらした実話。

「吉岡先生教壇に生く」は、室戸台風(1934年)により自らの身体を盾にして5名の児童を救った吉岡藤子教諭の実話です。
菊地まどかは師匠京山小圓嬢よりこの実話に基づいた台本を譲り受け、現在の子供達にも理解しやすい言葉に改作しました。改作するにあたり独自に室戸台風について調べ、当時の国民は気象警報に馴染みがなかったことや、当時の建築物は現在のように照明機器が発達していないため、太陽光を多く取り入れる必要があったことから南側に窓を配置する構造だったこと、特に学校は校舎の南側のほとんどが窓となるため、必然的に強度に問題があったことを知りました。
様々な根拠に基づいて口演するこの作品は、ラジオ大阪が大阪の防災について考える制作番組に取り上げ、『浪曲「吉岡先生」と大阪防災元年』として高く評価され第34回放送文化基金賞・ラジオ番組賞を受賞しました。